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ねじが日本に初上陸!種子島の鉄砲伝来とともに…

ねじは火縄銃とともにやって来た!

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1543年、日本に初めてもたらされたものと言えば、ポルトガル人が種子島に持ち込んだ火縄銃。歴史の授業では、1543年は鉄砲伝来の年と教えられます。

しかし、このとき鉄砲とともに、日本に初めて持ち込まれたものがありました。それが、ねじです。

 

初めて火縄銃を見た種子島の領主・種子島時尭は、ポルトガル人から火縄銃を買い取ります。

買い取った火縄銃を刀鍛冶の八坂金兵衛清定に調べさせたところ、銃身の一端に尾栓のねじが使われていたのです。尾栓とは、銃などの筒の末端を密閉するねじのこと。つまり、ねじが蓋の役目を果たしていたというわけです。

 

火縄銃を再現するために、八坂金兵衛清定は自分でねじを作ったと言われています。しかし、残念ながら、このとき日本にねじの有用性はほとんど広まりませんでした。

 

 

幕臣・小栗忠順の慧眼

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日本でねじが本格的に生産され始めたのは、西欧列強の脅威が高まりつつあった幕末の頃。

アメリカの海軍造船所を視察した幕臣・小栗忠順が、その近代化された工場に驚き、その片隅にポツンと落ちていたねじに目をつけます。

ねじはとても小さな部品ですが、規格に合わせて正確に作らなければならないため、高い技術が必要です。

1本のねじに西欧の発展ぶりを見た小栗忠順、さすがの慧眼ですね。

そうして小栗忠順は、欧米に追いつくようにと日本に1本のねじを持ち帰ります。

 

帰国後、小栗忠順は横須賀製鉄所(造船所)の開設に尽力し、これが日本近代化の第一歩になったと言われています。

 

 

日本の近代化とねじ

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余談ですが、この横須賀製鉄所は後に造船所として改修され、多くの軍艦を製造しました。

日露戦争でロシアのバルチック艦隊に勝利した東郷平八郎は後に、小栗忠順のご遺族を自宅に招き、「日本海海戦を制することができたのは、小栗忠順さまが横須賀造船所を作ってくれたおかげ」と語ったそうです。

 

現代に脈々と受け継がれる日本の工業力。その第一歩は、ねじから始まったと言っても過言ではないでしょう。

 

 

 

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